『論語』孔子、冠なき君主
フランス語からの翻訳 • 日本語 (japonais)
「この根本的な鍵[『論語』]なくしては、中国文明に近づくことはできない。そしてこの文明を知らぬ者は、人間経験についての部分的な理解しか得ることができないであろう。」
孔子『論語』(Les Entretiens de Confucius)、ピエール・リックマンス訳、ルネ・エティアンブル序文。パリ:ガリマール社、「東洋の知」叢書、1987年。
思想史において、敬愛すべき孔子(コンフーズ)1棄却された形:
Cong fou tsëe。
Krong-fou-tsé。
K’ong-fou-tseu。
Kong-fou-tze。
Khoung-fu-tzée。
Khoung-fou-dze。
Cung-fou-tsée。
Khung-fu-dsü。
Kung-fu-tsu。
Kung fu-tzu。
Cun-fu zu。
Cum-fu-çu。ほど広範かつ永続的な影響を及ぼした例はほとんどない。東アジアのすべての民族に刻みつけた深い痕跡によってその偉大さを判断するならば、彼は間違いなく「数世紀がかつて生み出した最も偉大な教育者」と呼ぶに値する。『論語』(Lunyu)2棄却された形:
Analectes (『アナレクタ』)。
Dialogues (『対話篇』)。
Les Annales (『年代記』)。
Les Propos (『言葉』)。
Les Entretiens philosophiques (『哲学的対話』)。
Les Discussions philosophiques (『哲学的議論』)。
Le Livre des entretiens ou des discours moraux (『対話あるいは道徳的言説の書』)。
Discours et paroles (『言説と言葉』)。
Aphorismes (『警句集』)。
Conversations avec ses disciples (『弟子たちとの会話』)。
Liber sententiarum (Le Livre des sentences) (『箴言の書』)。
Ratiocinantium sermones (Les Entretiens des rationalistes) (『理性的思索者たちの対話』)。
Dissertæ sententiæ (『練り上げられた箴言』)。
Lén-yù。
Luen yu。
Louen yu。
Loung yu。
Lien-yu。
Liun iu。
Liun-ju。
Loun-yu。
Loun iu。
Lún-iù。
混同すべからず:
『孔子家語』(Les Entretiens familiers de Confucius、Kongzi jiayu)——これは『論語』集に対する一種の異端的補遺をなす。の中でこそ、彼の人類に対する熱烈な愛と、良識の源泉から汲み取られた崇高な道徳が輝きを放つのである。そこにこそ、天から受けた最初の輝きを、しかし無知の闇によって曇らされた人間本性に、その輝きを取り戻させようとする彼の絶えざる配慮が現れている。したがって、彼をラテン語化した名「コンフキウス」のもとでヨーロッパに紹介し賞賛せしめたイエズス会士たちが、中国人に劣らぬ熱狂を彼に対して抱いたとしても驚くには当たらない。彼らは『論語』の中に、中国の真珠、あるいはそれより更に貴い何か、すなわち pretiosior est cunctis opibus [sapientia] (知恵はあらゆる富よりも貴い)3箴言3章15節 (『聖書:典礼公式訳』による)。 を見出した。そしてこう結論づけた、「これらの教えは中国人にとってのみ善きものではなく、[…]これらを実践することができたならば、自らを幸福と思わぬフランス人はほとんどいないであろう」と。ヴォルテール自身も魅了され、自らの書斎にこの中国の賢者の肖像を掲げ、その下にこの四行の詩を書きつけた:
「唯一健全な理性の解釈者にして、
世を眩ますことなく、精神に光を与え、
彼はただ賢者として語り、決して預言者としては語らなかった。
しかしながら人々は彼を信じた、彼自身の国においてさえ。」ヴォルテール「中国について」。『ヴォルテール全集』第40巻、『愛好者たちによる百科全書への質問』IV、César-Égalité。オックスフォード:ヴォルテール財団、2009年。
正しき理性の明証性
道徳と政治の二重の関係から考察するとき、孔子の学説はほぼ同時代にソクラテスが説いていたものと比較される。「理性の友、熱狂の敵」(ヴォルテール)たる孔子とソクラテスは、古代の叡智に、最も荒々しい精神をも感動させ得るあの優しさ、あの明証性、あの平静さを纏わせた。おそらく、これほど立派に人間精神が体現されたことはかつてなかったであろう。その哲学において優れていた彼らは、その判断においても劣らず優れていた。それゆえ、彼らは常にどこまで行くべきか、どこで止まるべきかを心得ていた。そしてもし、それでもなお正道から逸れることがあったとしても、その良識が彼らをそこへ連れ戻したのである。この点において彼らは、あまりにも込み入った、あまりにも虚偽の推論、あまりにも恐るべき精緻さを有し、自分自身をも理解しがたいほどの現代の多くの哲学者たちに比べ、相当な優位を有している。「先生は仰った:「誰も扉以外から出ようとは思わない。なぜ人々は道の外を歩もうとするのか?」」(VI.17)
したがって、『論語』の中に自らが哲学と呼ぶあの迷走を一つも見出さず、一言で断罪したヘーゲルの意見は遺憾である:「孔子の名声のためには、彼の著作が翻訳されなかった方がよかったであろう」4ヘーゲル、ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ『哲学史講義』(Leçons sur l’histoire de la philosophie)、ジャン・ジブラン独訳から仏訳。パリ:ガリマール社、1954年。。このゲルマン的な軽蔑は、ドイツが『ゲーテとの対話』という、その静謐な美しさにおいても、また『師』の生ける臨在においても極めて近しい書物を有しているだけに、いっそう奇妙に思われる。しかし誤解してはならない! 孔子を翻訳に値しないと判断することは、理性そのもの——「すべての人々の魂の中にある、そしてわれらの哲学者が自らの言葉のすべてを導くために絶えず参照したあの内なる真理」(ジャン・ド・ラブリュヌ)——を拒絶することに他ならないのだから。
賢者の道
人類の他の多くの「教育者」たち、インドの仏陀、ペルシアのゾロアスターと同じく、孔子は著述家ではなく、自らの教えを書き記す務めを弟子たちに委ねた師であった。その上、大演説や場違いな雄弁に疎い彼は、「最も美しい旋律を引き出すために楽器の上にかがみ込む音楽家の態度のような」5アントワーヌ=ジョゼフ・アサフの明晰なイメージによる。、静かに集中した姿勢を好んだ。彼は時に、「もはや語りたくない」と嘆息するまでに至った。その沈黙に心を動かされた弟子たちに対し、彼はほとんど宇宙的な威厳をもってこう反論した:「天が語るだろうか? それでも四季は巡り、それでも百の生きものが生まれる。天が語るだろうか?」(XVII.19)
彼は謙虚に、聞く者にこう宣言した:「述べて作らず[…]古を愛する」(VII.1)。礼(li)、知(zhi)、仁の心(ren)の伝達者というこの役割を、彼は献身をもって、威厳をもって果たした。「その使命は重く、その道は長い」(VIII.7)ことを知りつつ、深い落胆を経ぬではなかった。しかしながら、彼は真の天命を全うするという思いによって自らを奮い立たせた:「文王は亡くなった。今、文明の負託を委ねられているのは私ではないか? もし天がその滅亡を誓ったのならば、なぜ私のような死すべき者にそれを委ねたであろうか? そしてもし天がこの負託を保つと決めたのなら、私は匡の人々に何を恐れることがあろうか?」(IX.5)
徳の帝国
『論語』の中で頻繁に現れる言葉に「君子」(junzi)がある。これはもともと高貴な血統と家柄から出た紳士を指していたが、孔子はこれに新たな意味を与え、血の貴族性に心の貴族性を置き換えた。高潔の人はもはや偶然の手から受け取る誕生によって定義されるのではなく、学問によって獲得する道徳的高揚と感性によって定義されるのである6シリル・ジャヴァリが想起させるように、フランスは、伯爵の従者フィガロが主人の特権に対する平等と復讐の感情を主張するのを見るために、孔子の後二十三世紀を待たねばならないであろう:「伯爵殿[…]。あなたが大貴族であるからといって、ご自分を大天才と思い込んでおられる!……家柄、財産、地位、役職;これらすべてがかくも人を誇らしくする! かくも多くの恵みのために、あなたは何を為されたのか? あなたは生まれる労を執られた、それだけのこと。その他は、ごく平凡な人間! 一方この私は」云々。。「北極星」(II.1)のように不動にして中心的な彼は、注目されないことを気にかけない。むしろ彼は何か注目に値することを為さんと努めるのだ:「先生は仰った:「人に知られざるは不幸にあらず、人を知らざるは不幸なり」」(I.16)。これ以上に美しい格言を、栄光と成功に対するこれ以上に大きな無関心を、どこに見出せようか? 結局のところ、孔子が生涯を通じて冠なき君主のままであったとて、何であろうか? 彼は、その見えざる国境が人類の国境まで広がる帝国を築いたのである。
さらに深く知るために
『論語』について

引用
「子曰:「不知命、無以爲君子也;不知禮、無以立也;不知言、無以知人也。」」
論語 Wikisource 中文、[オンライン]、2026年4月15日閲覧。
「孔子曰く:「運命を知らざる者は君子として生きることあたわず。礼を知らざる者は身の処し方を知らず。言葉の意味を知らざる者は人を知ることあたわず」。」
孔子『論語』(Les Entretiens de Confucius)、ピエール・リックマンス訳、ルネ・エティアンブル序文。パリ:ガリマール社、「東洋の知」叢書、1987年。
「先生曰く:「己の分を知らざる者は善人たりえず。礼を知らざる者は己の地位を保つあたわず。言葉の意味を知らざる者は人を判ずるあたわず」。」
孔子『論語:孔子とその弟子たち』(Les Entretiens de Confucius et de ses disciples)、ジャン・レヴィ訳。パリ:A.ミシェル社、「生ける霊性」叢書、2016年;『対話』(Entretiens)と改題して再刊、パリ:レ・ベル・レトル社、2019年。
「先生曰く:「天命を知らざる者は善人たりえず。礼を有さざる者は己を確立するあたわず。言葉の価値を知らざる者は人を知るあたわず」。」
孔子『論語』(Les Entretiens)、アンヌ・シェン訳。パリ:スイユ社、「ポワン・サジェス」叢書、1981年。
「孔子曰く:「運命の知なくしては、高潔の人となることあたわず。礼儀の知なくしては、それに留まるあたわず。言葉の意味の知なくしては、人を理解するあたわず」。」
孔子『論語:孔子とその弟子たち』(Les Entretiens de Confucius et de ses disciples)、アンドレ・レヴィ訳。パリ:フラマリオン社、「GF」叢書、1994年。
「孔子曰く:「運命を知らざれば、善人たるに由なし。礼を知らざれば、社会に身を置くに由なし。言葉の意味を知らざれば、人を知るに由なし!」」
『儒家の哲学者たち』(Philosophes confucianistes)、シャルル・ル・ブラン、レミ・マチュー訳。パリ:ガリマール社、「プレイヤード叢書」、2009年。
「哲学者曰く:「自らが使命、命を全うすべく任ぜられていると信じざれば、君子と見做されえず。
社会的関係を律する礼あるいは法を知らざれば、己の行動を定めるものなし。
人々の言葉の価値を知らざれば、彼ら自身を知ることあたわず」。」
孔子、孟子『中国の道徳および政治哲学の四書』(Les Quatre Livres de philosophie morale et politique de la Chine)、ギヨーム・ポーティエ訳。パリ:シャルパンティエ、1841年。
「先生:「命を知らざれば、高貴なる人となることあたわず。礼を知らざれば、身を保つあたわず。言葉を知らざれば、人を知るあたわず」。」
孔子『孔子の叡智の書』(Le Livre de la sagesse de Confucius)、オイラリー・ステンス訳。モナコ;パリ:ロシェ社、「偉大なる霊的テキスト」叢書、1996年。
「先生曰く:「天の意志(自然法)を知らざる者は決して賢者たりえず。規則と慣習を知らざる者は己の行動において恒常たりえず。人々の言説の中に真偽を見分けることを知らざる者は人を知ることあたわず」。」
孔子、孟子『四書』(Les Quatre Livres)、セラファン・クーヴルールによる中国語からのフランス語・ラテン語訳。河間:カトリック伝道印刷所、1895年。
「Magister ait: “Qui non cognoscit Cæli mandata, non habet quo fiat sapiens vir. Qui non novit ritus, non habet quo consistat, id est, non habet certam legem qua constanter se dirigat. Qui nescit discernere (examinare et æstimare) hominum dicta, non habet quo noscat homines”.」
孔子、孟子『四書』(Les Quatre Livres)、セラファン・クーヴルールによる中国語からのフランス語・ラテン語訳。河間:カトリック伝道印刷所、1895年。
「先生曰く:「天命を知らざる者は名誉ある人たりえず。規則と慣習を知らざる者は自らを確立するあたわず。言葉の意味を知らざる者は人を知るあたわず」。」
孔子『師と弟子たちとの対話』(Entretiens du Maître avec ses disciples)、セラファン・クーヴルール訳、ミュリエル・バリオシェ=シュムーニーによる翻訳改訂と後書。パリ:千一夜出版、「千一夜」叢書、1997年;『孔子の言葉、対話』(Paroles de Confucius, Entretiens)と改題して再刊、パリ:ユゴー・ポッシュ、「ユゴー・ポッシュ:叡智」叢書、2023年。
「Confucii effatum: “Nec sapientiam apprehendere, qui Cæli legem; nec in virtute stare, qui rituum honestatem; nec homines potest dignoscere, qui verborum artem ignorat”.」
孔子、孟子『中国帝国の六古典書』(Sinensis imperii libri classici sex)、フランソワ・ノエルによる中国語からのラテン語訳。プラハ:J.J.カメニツキー刊、1711年。
「孔子曰く:「天の法則を知らざれば智に達するあたわず、誠実の礼を知らざれば徳において確立するあたわず、語る術を知らざれば人を見分けるあたわず」。」
孔子、孟子『中国帝国の古典書』(Les Livres classiques de l’Empire de la Chine)、フランソワ=アンドレ=アドリアン・プリュケによる、フランソワ・ノエルのラテン語訳からの間接訳。パリ:ド・ビュール社;バロワ兄弟社、1784年。
「Confucius aiebat: “Qui non s[c]it, adeoque nec credit dari Cœli mandatum et Providentiam, id est, qui non intelligit et credit prospera et adversa, vitam et mortem, etc. a Cœli nutu consilioque pendere (vel, ut exponunt alii, qui non cognoscit lumen rationis cœlitus inditum esse mortalibus, ad quod vitæ suæ rationes omnes componat, et quæ prava sunt, fugiat, quæ recta, prosequatur), vir hujusmodi profecto non habebit quo evadat probus ac sapiens; quin imo multa committet homine indigna, dum quæ illicita sunt, vel supra vires suas, consectabitur, vel iis malis, quæ frustra conabitur effugere, succumbet.
Quisquis ignorat decorum cujusque rei et modum, necnon ritus officiaque civilia, quæ societatis humanæ vincula quædam sunt, ac proprium cujusque hominis decus et firmamentum, non habebit is quo erigatur aut evadat vir gravis et constans, et sibi aliisque utilis; labetur enim assidue, fluctuabit incertus, et ipsius quoque virtutis, si quam forte adeptus est, jacturam aliquando faciet.
Lingua cordis index est; nec raro quidquid in toto latet homine, brevis ejusdem prodit oratio. Quocirca quisquis non intelligit sermones hominum, sic ut apte discernat quam recte, quam perperam quid dicatur, non habebit quo perspectos habeat ipsos homines: errores illorum scilicet, indolem, consilia, facultates.
Porro quisquis hæc tria — Cœli, inquam, providentiam, rerum modum, ipsos denique homines — probe cognoverit, itaque vixerit, ut huic cognitioni vita moribusque respondeat, is omnino dici poterit partes omnes rari sapientis, et qui longe supra vulgus emineat, explevisse”.」
孔子『中国の哲学者孔子、あるいはラテン語で解説された中国の学』(Confucius Sinarum philosophus, sive Scientia sinensis latine exposita)、プロスペロ・イントルチェッタ、クリスティアン・ヘルトリッヒ、フランソワ・ド・ルージュモン、フィリップ・クープレによる中国語からのラテン語訳。パリ:D.オルトメルス、1687年。
「天の命と摂理を知らず、繁栄と逆境、生と死などが天の意志と計らいに依存することを信ぜず、理性の光が天が死すべき者たちに与える贈り物であり、善悪、避けるべきもの抱くべきものの規則として、我々の人生のすべての動きをそれに合致させねばならぬことを認めぬ者、確かにそのような人は決して善人にして賢者となることあたわず、それどころか人にふさわしからぬ幾多のことを為し、許されざるあるいは己の力を超えることに走り、虚しく避けんと努める悪に屈するであろう。
各事物の礼儀と様態、人間社会の絆の如く、また各人の固有の装飾の如き習慣と相互の義務を知らざる者は、決して何事にも達することなく、重要で、重々しく、恒常的で、身内や他者に有益な人物となるに至らず、絶えず堕ち、永続的な不確かさの中で揺れ動き、たとえ何らかの徳を獲得したとしても、結局いつかはそれを失うであろう。
舌は心の印あるいは徴であり、しばしば漏れた一言が、人がその精神の内に有するすべてを明かす。それゆえ、人々の言説を、一事がいかに適切に、あるいは不適切に言われるかを正しく識別しうるほどに理解せぬ者は、人の奥底と内面、彼らの過ち、彼らの本性、彼らの企て、そして彼らの能力の及ぶ範囲と及ばぬ範囲を知ることあたわず。
さて、天の摂理、事物の特殊な様態、人の内面——この三つを善く知り、その生と習俗がこの知識に合致するよう己を治めた者は、まったく、稀なる、賢明な、世俗を遙かに超えた人のすべての部分を全うしたと言ってよいであろう。」
孔子『孔子、あるいは宗教の原理、個人の道徳、中国の古代皇帝と政務官の政治統治を含む君主の学』(Confucius, ou La Science des princes contenant les principes de la religion, de la morale particulière, du gouvernement politique des anciens empereurs et magistrats de la Chine)、写本第2331号、プロスペロ・イントルチェッタ、クリスティアン・ヘルトリッヒ、フランソワ・ド・ルージュモン、フィリップ・クープレのラテン語訳に基づく、フランソワ・ベルニエによる間接訳。パリ、アルスナル図書館、1687年;再刊(シルヴィ・トーシグ序文、ティエリ・メナール中国学注)、パリ:ル・フラン社、「時の階段」叢書、2015年。
「Dsü dixit: “Ignorans mandatum haud evadet vir principalis.
Ignorans ritus haud ad consistendum.
Ignorans verba haud ad noscendum homines”.」
孔子『中国の賢者孔夫子とその弟子たちの著作 第2巻』(Werke des chinesischen Weisen Khung-Fu-Dsü und seiner Schüler, t. II)、ヴィルヘルム・ショットによる中国語からのドイツ語・ラテン語訳。ベルリン:C.H.ヨナス、1832年。
「Philosophus ait: “Qui non agnoscit Cæli providentiam, non habet unde fiat sapiens. Qui haud noscit ritus, non habet unde consistat. Qui non discernit sermones, non habet unde cognoscat homines”.」
『新伝道師のための中国文学教程 第2巻 古典研究』(Cursus litteraturæ sinicæ neo-missionariis accommodatus, t. II. Studium classicorum)、アンジェロ・ゾットリによる中国語からのラテン語訳。上海:カトリック伝道印刷所、1879年。
「賢者曰く:「天の秩序を認識し見分けざる者は、高貴な人たりえず。慣習を知らざる者は己を保つあたわず。言葉の正確な意味を理解せざる者は人を理解することあたわず」。」
レスリー、ドナルド・ダニエル『孔子』(Confucius)、『論語』訳を付す、ドナルド・ダニエル・レスリーのヘブライ語訳に基づくザカリ・マヤニによる間接訳。パリ:セゲール社、「あらゆる時代の哲学者たち」叢書、1962年。
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音声録音
- アンヌ・シェン、孔子について (フランス・キュルチュール • フランス・アンテール)。
- ブリジット・ブードン、孔子について (アンクラージュ出版)。
- シリル・ジャヴァリ、孔子について (ラジオ・フランス・アンテルナショナル(RFI))。
- ~Cocotte と ~Iamnot による『論語』朗読、セラファン・クーヴルール訳 (Littérature audio)。
- ~RikudoSensei による『論語』朗読、ピエール・リックマンス訳 (YouTube)。
- ファビエンヌ・プロストによる『論語』部分朗読、セラファン・クーヴルール訳、ミュリエル・バリオシェ=シュムーニー改訂 (YouTube)。
- ミカエル・ロンスデールによる『論語』部分朗読、セラファン・クーヴルール訳、ミュリエル・バリオシェ=シュムーニー改訂 (YouTube)。
- ロバン・ルヌッチによる『論語』部分朗読、セラファン・クーヴルール訳、ミュリエル・バリオシェ=シュムーニー改訂 (YouTube)。
- ルネ・エティアンブル、アンヌ・シェン、シャルル・ル・ブラン、孔子について (フランス・キュルチュール)。
- サミ・チャク、孔子について (ラジオ・フランス・アンテルナショナル(RFI))。
- エティエンヌ・バラーシュ、孔子について (フランス・キュルチュール)。
印刷作品
- プロスペロ・イントルチェッタ、クリスティアン・ヘルトリッヒ、フランソワ・ド・ルージュモン、フィリップ・クープレのラテン語訳に基づく、フランソワ・ベルニエによる『論語』間接訳の写本(1687年) (フランス国立図書館(BnF))。
- プロスペロ・イントルチェッタ、クリスティアン・ヘルトリッヒ、フランソワ・ド・ルージュモン、フィリップ・クープレのラテン語訳に基づく、フランソワ・ベルニエによる『論語』間接訳の写本(1688年) (フランス国立図書館(BnF))。
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- ギヨーム・ポーティエによる『論語』仏訳(18…)、副本 (Google Livres)。
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- ギヨーム・ポーティエによる『論語』仏訳(1858年)、副本2 (Google Livres)。
- ギヨーム・ポーティエによる『論語』仏訳(1858年)、副本3 (フランス国立図書館(BnF))。
- ギヨーム・ポーティエによる『論語』仏訳(1862年) (Google Livres)。
- ギヨーム・ポーティエによる『論語』仏訳(1862年)、副本 (Google Livres)。
- ギヨーム・ポーティエによる『論語』仏訳(1868年) (Google Livres)。
- ギヨーム・ポーティエによる『論語』仏訳(1868年)、副本 (Google Livres)。
- ギヨーム・ポーティエによる『論語』仏訳(1874年) (Google Livres)。
- ギヨーム・ポーティエによる『論語』仏訳(1921年) (フランス国立図書館(BnF))。
- セラファン・クーヴルールによる『論語』仏訳(電子版) (Chine ancienne)。
- セラファン・クーヴルールによる『論語』仏訳(電子版その2) (Wikisource)。
- フランソワ・ノエルのラテン語訳に基づく、フランソワ=アンドレ=アドリアン・プリュケによる『論語』間接訳(1784-1785年)、第1巻 (Google Livres)。
- フランソワ・ノエルのラテン語訳に基づく、フランソワ=アンドレ=アドリアン・プリュケによる『論語』間接訳(1784-1785年)、第1巻、副本 (Google Livres)。
- フランソワ・ノエルのラテン語訳に基づく、フランソワ=アンドレ=アドリアン・プリュケによる『論語』間接訳(1784-1785年)、第1巻、副本2 (Google Livres)。
- フランソワ・ノエルのラテン語訳に基づく、フランソワ=アンドレ=アドリアン・プリュケによる『論語』間接訳(1784-1785年)、第1巻、副本3 (Google Livres)。
- フランソワ・ノエルのラテン語訳に基づく、フランソワ=アンドレ=アドリアン・プリュケによる『論語』間接訳(1784-1785年)、第1巻、副本4 (フランス国立図書館(BnF))。
- フランソワ・ノエルのラテン語訳に基づく、フランソワ=アンドレ=アドリアン・プリュケによる『論語』間接訳(1784-1785年)、第2巻 (フランス国立図書館(BnF))。
- フランソワ・ノエルのラテン語訳に基づく、フランソワ=アンドレ=アドリアン・プリュケによる『論語』間接訳(1784-1785年)、第2巻、副本 (Google Livres)。
- フランソワ・ノエルのラテン語訳に基づく、フランソワ=アンドレ=アドリアン・プリュケによる『論語』間接訳(1784-1785年)、第2巻、副本2 (Google Livres)。
- フランソワ・ノエルのラテン語訳に基づく、フランソワ=アンドレ=アドリアン・プリュケによる『論語』間接訳(1784-1785年)、第2巻、副本3 (Google Livres)。
- フランソワ・ノエルのラテン語訳に基づく、フランソワ=アンドレ=アドリアン・プリュケによる『論語』間接訳(1784-1785年)、第2巻、副本4 (Google Livres)。
- フランソワ・ノエルのラテン語訳に基づく、フランソワ=アンドレ=アドリアン・プリュケによる『論語』間接訳(1784-1785年)、第2巻、副本5 (Google Livres)。
- フランソワ・ノエルによる『論語』ラテン語訳(1711年) (Google Livres)。
- フランソワ・ノエルによる『論語』ラテン語訳(1711年)、副本 (Google Livres)。
- フランソワ・ノエルによる『論語』ラテン語訳(1711年)、副本2 (Google Livres)。
- フランソワ・ノエルによる『論語』ラテン語訳(1711年)、副本3 (Google Livres)。
- プロスペロ・イントルチェッタ、クリスティアン・ヘルトリッヒ、フランソワ・ド・ルージュモン、フィリップ・クープレによる『論語』ラテン語訳(1687年) (Google Livres)。
- プロスペロ・イントルチェッタ、クリスティアン・ヘルトリッヒ、フランソワ・ド・ルージュモン、フィリップ・クープレによる『論語』ラテン語訳(1687年)、副本 (Google Livres)。
- プロスペロ・イントルチェッタ、クリスティアン・ヘルトリッヒ、フランソワ・ド・ルージュモン、フィリップ・クープレによる『論語』ラテン語訳(1687年)、副本2 (Google Livres)。
- プロスペロ・イントルチェッタ、クリスティアン・ヘルトリッヒ、フランソワ・ド・ルージュモン、フィリップ・クープレによる『論語』ラテン語訳(1687年)、副本3 (Google Livres)。
- プロスペロ・イントルチェッタ、クリスティアン・ヘルトリッヒ、フランソワ・ド・ルージュモン、フィリップ・クープレによる『論語』ラテン語訳(1687年)、副本4 (Google Livres)。
- プロスペロ・イントルチェッタ、クリスティアン・ヘルトリッヒ、フランソワ・ド・ルージュモン、フィリップ・クープレによる『論語』ラテン語訳(1687年)、副本5 (Google Livres)。
- プロスペロ・イントルチェッタ、クリスティアン・ヘルトリッヒ、フランソワ・ド・ルージュモン、フィリップ・クープレによる『論語』ラテン語訳(1687年)、副本6 (フランス国立図書館(BnF))。
- プロスペロ・イントルチェッタ、クリスティアン・ヘルトリッヒ、フランソワ・ド・ルージュモン、フィリップ・クープレによる『論語』ラテン語訳(1687年)、副本7 (フランス国立図書館(BnF))。
- プロスペロ・イントルチェッタ、クリスティアン・ヘルトリッヒ、フランソワ・ド・ルージュモン、フィリップ・クープレによる『論語』ラテン語訳(1687年)、副本8 (Google Livres)。
- プロスペロ・イントルチェッタ、クリスティアン・ヘルトリッヒ、フランソワ・ド・ルージュモン、フィリップ・クープレによる『論語』ラテン語訳(1687年)、副本9 (American Libraries)。
- プロスペロ・イントルチェッタ、クリスティアン・ヘルトリッヒ、フランソワ・ド・ルージュモン、フィリップ・クープレによる『論語』ラテン語訳(1687年)、副本10 (Google Livres)。
- プロスペロ・イントルチェッタ、クリスティアン・ヘルトリッヒ、フランソワ・ド・ルージュモン、フィリップ・クープレによる『論語』ラテン語訳(1687年)、副本11 (Google Livres)。
- プロスペロ・イントルチェッタ、クリスティアン・ヘルトリッヒ、フランソワ・ド・ルージュモン、フィリップ・クープレによる『論語』ラテン語訳(1687年)、副本12 (Google Livres)。
- プロスペロ・イントルチェッタ、クリスティアン・ヘルトリッヒ、フランソワ・ド・ルージュモン、フィリップ・クープレによる『論語』ラテン語訳(1687年)、副本13 (American Libraries)。
- プロスペロ・イントルチェッタ、クリスティアン・ヘルトリッヒ、フランソワ・ド・ルージュモン、フィリップ・クープレによる『論語』ラテン語訳(1687年)、副本14 (Google Livres)。
- プロスペロ・イントルチェッタ、クリスティアン・ヘルトリッヒ、フランソワ・ド・ルージュモン、フィリップ・クープレによる『論語』ラテン語訳(1687年)、副本15 (Google Livres)。
- プロスペロ・イントルチェッタ、クリスティアン・ヘルトリッヒ、フランソワ・ド・ルージュモン、フィリップ・クープレによる『論語』ラテン語訳(1687年)、副本16 (Google Livres)。
- ヴィルヘルム・ショットによる『論語』独・羅訳(1832年) (Google Livres)。
- ヴィルヘルム・ショットによる『論語』独・羅訳(1832年)、副本 (Google Livres)。
- ヴィルヘルム・ショットによる『論語』独・羅訳(1832年)、副本2 (Google Livres)。
- ヴィルヘルム・ショットによる『論語』独・羅訳(1832年)、副本3 (Google Livres)。
- ヴィルヘルム・ショットによる『論語』独・羅訳(1832年)、副本4 (Google Livres)。
- ヴィルヘルム・ショットによる『論語』独・羅訳(1832年)、副本5 (Google Livres)。
- アンジェロ・ゾットリによる『論語』校訂およびラテン語訳(1879年) (Google Livres)。
- アンジェロ・ゾットリによる『論語』校訂およびラテン語訳(1879年)、副本 (Google Livres)。
- アンジェロ・ゾットリによる『論語』校訂およびラテン語訳(1879年)、副本2 (Google Livres)。
- アンジェロ・ゾットリによる『論語』校訂およびラテン語訳(1879年)、副本3 (Google Livres)。
- アンジェロ・ゾットリによる『論語』校訂およびラテン語訳(1879年)、副本4 (Google Livres)。
- セラファン・クーヴルールによる『論語』校訂およびフランス語・ラテン語訳(1895年) (Google Livres)。
- セラファン・クーヴルールによる『論語』校訂およびフランス語・ラテン語訳(1895年)、副本 (Google Livres)。
- セラファン・クーヴルールによる『論語』校訂およびフランス語・ラテン語訳(1910年) (Google Livres)。
- セラファン・クーヴルールによる『論語』校訂およびフランス語・ラテン語訳(1910年)、副本 (フランス国立図書館(BnF))。
参考文献
- アサフ、アントワーヌ=ジョゼフ『浜辺の孔子:デッキチェアでの叡智』(Confucius à la plage : la sagesse dans un transat)。マラコフ:デュノ社、「浜辺にて」叢書、2023年。
- シェン、アンヌ『中国思想史』(Histoire de la pensée chinoise)。パリ:スイユ社、1997年。
- デロッシュ、ジャン=ポール、ドゥラクール、カトリーヌ編『孔子:中国人文主義の黎明に』(Confucius : à l’aube de l’humanisme chinois) [展覧会カタログ、パリ、国立ギメ東洋美術館]。パリ:国立美術館連合、2003年。
- グラネ、マルセル『中国思想』(La Pensée chinoise)、アンリ・ベール前書き。パリ:A.ミシェル社、「人類の進化」叢書、1950年 (フランス国立図書館(BnF))。
- ジャヴァリ、シリル『孔子の叡智:成長のための価値、命題、警句』(Sagesse de Confucius : valeurs, propositions et aphorismes pour grandir)。パリ:エロル社、「エロル実践:霊性」叢書、2016年。
- ラブリュヌ、ジャン・ド『中国の哲学者孔子の道徳』(La Morale de Confucius, philosophe de la Chine)、アムステルダム:P.サヴーレ、1688年;再刊(シモン・フーシェ『孔子の道徳についての書簡』を付す)、パリ:E.ルグラン社;フォントネー=ル=コント:ゴーダン・フィス社、1844年 (Google Livres)。
